
2025年12月28日準決勝の東京体育館。
高校バスケの集大成となるウインターカップ準決勝で、福岡第一のキャプテン・宮本聡の3年間が幕を閉じた。
冬の王者を決めるウインターカップ準決勝。連覇を狙う福岡第一は、宿敵・東山(京都)を相手に最後まで戦い抜いた。4Q では、宮本兄弟の得点で、57-57 同点と追いついたが、そこから一気に東山が突き放し決勝への道へはあと一歩、福岡第一 58-72 東山 の結果となり、わずかに届かなかった。
東山との激闘の末に敗れた直後、コートを去った宮本ツインズ。満身創痍のなかで戦い抜いたキャプテン・宮本聡(そう)。兄である聡の瞳にはまだ悔し涙の後がある。そして、やっとミックスゾーンに現れた彼は、一人のリーダーとして、凛とした表情で、この試合を振り返りる。そして、悔しさを押し堪えながらも、自身の3年間を語り始めた。相棒であり、双子の弟である燿(よう)との絆、そして別々の道を選ぶという大きな決断。宮本聡が今、その胸中を明かした試合後のロングインタビュー。
#33 宮本聡「このメンバーで苦しんだ時間は、最高の青春だった」

「苦しいというレベルではなかった」激動の1年間
Qまず、今日の試合を振り返っていかがですか?
「自分自身のプレーは全然良くなかったんですけど、それ以上に本当に最後の最後まで応援席が声をかけてくれて、ベンチのみんなもチーム一つとなって終わることができたので、そこに後悔はないです。キャプテンとしてチームを勝たせることはできなかったんですけど、それ以上に改めて『最高のチームだな』と感じました」。
J:果敢に攻めた試合、シュートタッチについてはどう感じていましたか?
「ずっとこの1年シュートを課題にしてきて、このウィンターカップに入ってからも2回戦、3回戦、準々決勝とチームでも個人的にも外のシュートはかなり入っていたので、いい気持ちでできてはいたんですけど……。やっぱりこの大事な舞台で、相手にリードされている展開で。最後、燿はしっかり決めてくれたんですけど、自分と燿がやっぱりもっと決めないといけないなっていう風には思ったので。バスケット人生終わるわけじゃないんで、また明日から頑張りたいと思います」。
J:東山の佐藤凪選手とのマッチアップはいかがでしたか?
「中学の時から知っていて、お互い声を掛け合ってやってきました。本当は、やっぱり日本一上手いガードは琉久だと思っているんです。自分は本当に『チームを勝たせる、日本一に導くガード』になりたいっていう風に思って今日の試合を迎えたんですけど、ガード4人いる中で相手の中村(帆一)選手だったり、東山のガード陣に自分たちがやっぱ勝つことができなかったのが、今日は本当に自分と燿が一番責任があるというか。今日の試合を振り返ってそう思います」



その中で、相手が一歩上だったと感じた部分は?
「今日はずっとリードされている展開で、自分たちはこのウィンターカップで初めて追いかける展開が続いたんですけど、そこでやっぱり相手の方が1回戦からその接戦を経験していて……なんていうんやろう、その試合の勝負どころをしっかり分かっているというか。もちろん自分たちも開志長岡戦は激しい試合になったんですけど、までもやっぱりその勝負どころのシュートを決めることだったり、なかなか自分たちのオフェンスができなかったり。守り切れなかったり、リバウンドやルーズボールを獲れなかったりっていう、その勝負どころのところに最後結果が出たかなっていう風に思います」。
チームに怪我人が相次ぐなか宮本自身も……。
「ムサがいなくなって、トンプソンもシュートも打てないくらいの怪我をしてしまって。僕も昨日の試合でちょっと左足首をぐねってしまったんですけど、全然動ける状態だったので、今日のプレーが良くなかったのは足が痛いからっていうことじゃなくて、単に実力が足りなかった。もちろん100%の状態で臨めなかったのはもちろんですけど、それは相手も同じで、激しいタフな試合を重ねる中で相手も怪我はあると思いますし、そこに言い訳はない。実力で負けたんだなと思います。までも、3年間自分がやってきたことには後悔はなくて、やりきったと思っています」。
「この1年間は本当に、苦しいとかいうレベルじゃなかった。正直、何度も投げ出したくなるような思いもしかま、本当にこのチームで、このメンバーで苦しいことを一緒に経験できたのが本当に楽しくて。『青春』として記憶に残る1年間」

福岡第一だからこそ出来たツーガード。プロになるために燿と別々の道に進むと決めた大学への進路
福岡第一だからこそ実現した「双子のツーガード」
そして、その傍らには常に双子の弟・宮本燿がいた。福岡第一の代名詞といえば、圧倒的なスピードでコートを支配するガード陣だ。聡は語る。「福岡第一だからこそ、このツーガードという形で二人一緒に3年間コートに立つことができました」と語る。
この伝統あるスタイルの中で、二人は文字通りチームの心臓として走り続けてきた。
燿について問われると、聡は少し照れくさそうに、「(燿とは)ずっと一緒にいすぎて、ま、ちょっともういいかなっていうくらいやってきたので(笑)。後悔はないです」と笑った。その笑顔には、最も近くで切磋琢磨し、地獄のような練習を共に乗り越えてきた半身への、最大級の信頼と感謝が溢れていた。
「自分と燿の目標は、本当にプロに入ることなので。今は福岡第一だからこそ、このツーガードでやってこれていますけど、これからプロに行くって考えた時に、二人ずっと一緒にコートに立つっていうのは不可能に近いかなって。それなら、大学では別々の道を歩んだ方が、自分たちのバスケット人生において大事なんじゃないかと考えました。大学でマッチアップして、また会場を沸かせたいなと思います」
福岡第一のキャプテンとしての1年を振り返って。夏、そしてトップリーグと苦しい時期を乗り越え双子の弟・燿は、聡にとってどんな存在
キャプテンとして「なかなかチームをうまくまとめることができずに苦しかったんですけど、それ以上にやっぱり最後、みんなが信じて声をかけてくれて。円陣の時も、自分が声をかける前に『お前が声かけろ』って言ってくれて。そこは本当に、自分がこの1年間やってきたことを最後みんながそうやって信じてくれたんだなって。キャプテンとしてはダメダメだったんですけど、仲間が最後ついてきてくれたんじゃないかなっていう風に思います」。
「3年間振り返ってもそうですし、この1年間は本当に、苦しいとかいうレベルじゃなかった。自分も背負っているものもありますし、チームとしてもうまくいかずにいろんなことが起きて。正直、何度も投げ出したくなるような思いもしました。までも、本当にこのチームで、このメンバーで苦しいことを一緒に経験できたのが本当に楽しくて。『青春』っていう青春はできなかったかもしれないんですけど、までも心に残るような1年間でした」。
「双子の弟・燿は……まあ、もうずっと一緒にいすぎて、ま、ちょっともういいかなっていうぐらいやってきたので(笑)。その点も、もう後悔はないです。
ウィンターカップが始まる前に『第一らしい、高校生らしいバスケをしたい』って言ってたんですけど、今日もブレイクが何本も出たり、何より最後の最後まで誰も諦めずに声をかけ続けて、それは応援席もベンチのメンバーも……本当に111人の大所帯なんですけど、チーム一つとなって戦うことができたのは、福岡第一らしい、高校生らしい本当に泥臭い姿だったと思います。自分たちは実力はないんですけど、最後まで戦い切るっていうのは本当に日本中の人々に勇気とか希望を与えられたんじゃないかな、という風には思います」。
最後に、これからの目標を聞かせてください
「本当になんていうか、挙げたらキリがないというか。改めて、シュートもそうですしディフェンスも、スピードも技術も、全部足りなくてやらなきゃいけないことはいっぱいあります。自分にできるのは、容量良くとかそんなんじゃなくて、とにかく明日からバスケのことを考えて、また『バスケ、バスケ』っていうので……どうしたら本当にチームを勝たせられるガードになるかっていうのを考え続けることが、一番の近道なんじゃないかなって思うので。まずは今日の試合、あんまり見たくないんですけど、しっかり振り返って。までも、まだバスケット人生これからなので、頑張っていきたいと思います」。
「最高のチームだった」と語る宮本聡の言葉。コート上では冷徹なまでに勝利を追い求める司令塔も、一歩コートを離れれば、仲間への感謝と弟への深い信頼を口にする、熱い心を持ったキャプテンだ。双子の弟・燿と離れ、一人で歩み出す新しい道。それは「最強のツーガード」という看板を一度下ろし、一人の表現者として自立するための覚悟の証だ。「バスケ、バスケ」。そう笑って明日を見据える彼の物語は、今この瞬間、第二章へと突入した。大学という新たな舞台でファンを沸かせてくれる、我々はさらに進化した「勝たせるガード」の姿を目撃することになるだろう。




