ジョエル・エンビード 初のシグネチャーシューズ アンダーアーマー「UAエンビード1」
9月19日に発売
ジョエル・エンビードSTORY
自慢の弟
どんなことが自分の身に起こっても、家族はまったく動揺しませんでした。名門のカ ンザス大に進学したときも、NBAのセブンティシクサーズにドラフトされたときも、 大騒ぎはしませんでした。実は、両親は僕を医者にしたがっていたのです。もちろん、 NBA入りを誇りに思ってくれましたが、それ以上でもそれ以下でもありません。一番 喜んではしゃいでくれたのは、弟のアーサーでした。僕を追いかけるようにバスケを プレーして、アメリカに行くのを夢見ていました。
僕たちは恵まれた環境で育ちました。決して裕福ではなかったけれど、必要なものは 手に入りました。でも、僕たちの周りはそうではなく、一文無しの子どもたちも、少 なくありませんでした。アメリカから家に連絡をしていたころ、よく父親がアーサー の話をしました。家にある物を、困っている近所の子どもたちに分け与えているのだ と。食料や服など、みんなが必要としているものをあげていました。弟の感覚では、 ただ分け合っているという意識だったのです。たった13歳ですよ? 普通だったら誰 が一番強いとかカッコつける歳ですが、弟は違いました。弟はみんなが普通に暮らせ るようにしたかったのです。本当に、自慢の弟でした。弟も僕のことを同じように 思ってくれていました。
弟は、この地球にはもったいない存在だったのかもしれません。僕がドラフトされた 数か月後に、彼は交通事故でこの世を去りました。それから、僕の人生は変わりまし た。長い間離ればなれだったこともあり、とてつもなく辛い時期でした。弟の死後、 自分自身に言い聞かせました。自分の人生は、バスケットボール以上の意味を持たな ければならないと。僕はチャンスをもらってアメリカに来て、NBAでさまざまな経験 をしていました。しかし、実際に他人の人生を変えていたのは弟でした。アンダー アーマーと話をした際に最初に伝えたのは、僕たちの関係はただの物品契約ではなく、 バスケットボール以上の意味を持つ必要があるということです。僕は人々の人生を変 えたい。
この夏にアフリカへと戻ったとき、近所の子どもたちが憧れの眼差しで僕を見ていま した。7年前は逆の立場だったと思うと、不思議な感覚でした。中には苦しみを抱えて いる子どもたちも少なくありませんでした。みんなの目を見れば、痛みや悲しみが伝 わってくるのです。生きることがどれだけ大変なことか。忘れもしません。ある孤児 院を訪ねた時、隅にいたひとりの子が僕のことを見ていました。ジッと、一言もしゃ べらずに。急に駆け寄ってきて、僕に抱きついたのです。まるで親子みたいに大きな ハグで。最高の瞬間でした。この子たちは何も持っていないかもしれません。でも愛 に満ちあふれていて、計り知れない可能性を秘めています。
バスケットボール以上の意味
アフリカからアメリカに来ると、すべてが完璧であると期待してしまいます。みんな が穏やかに暮らしていると。しかし、フィラデルフィアで見た現実は違いました。貧 困や苦しみはここにもありました。僕がけがや痛みに悩まされているときも、ずっと 力をくれました。けがで2年ぶりに戻って来たとき、正直ブーイングの嵐を受けると 思っていました。アリーナから追い出されるのではないかと。しかし、ブーイングは 一つも起きませんでした。そして、初得点したときの大歓声は、本当に力になりまし た。フィラデルフィアは悪く言われることもありますが、この街は初日から僕を迎え 入れてくれました。いや、初日は言い過ぎかも。2日目からでしょうか。みんな僕の復 帰に向けたプロセスを信じて、支えてくれました。今度は僕がみんなを支えられるよ うに全力を尽くします。
バスケットボールは自分にすべてを与えてくれました。しかし、バスケットボールに はそれ以上の意味がなければなりません。繰り返しになりますが、それがアンダー アーマーへ最初に伝えたことです。それに対して、彼らは100%、サポートする意志を 示してくれました。だから、これはただのシューズ契約ではありません。アンダー アーマーと一緒にでっかいことをやっていく予定です。まずはフィラデルフィアから 始めていきます。フィラデルフィアのコミュニティ、そして世界中に向けてサプライ ズを計画中です。ともに歩む仲間は揃いました。これからこのパートナーシップを通 して、バスケットボール以上のことをしていきます。本当に意味のあることをしたい のです。弟が誇りに思ってくれるようなことを。