今シーズン中地区2年連続優勝して、クォーターファイナルで群馬を破り、初のセミファイナルに進出した三遠は、セミファイナルで琉球と対決した。先に1勝してファイナル王手をかけた。
大浦やメイテンは怪我もあったが出場した。しかし、エース佐々木がアキレス腱断裂でGAME3を欠場となり衝撃が走ったが、選手たちは自分の役割をしっかりと全うし、エゴがなくチームの勝利に献身的に貢献してきた力を存分に発揮する試合となった。
セミファイナルの3試合は本当に激しいディフェンス、そこを掻い潜って得点し、相手の長所を抑え合う、Bリーグ史に残るセミファイナルとなった。
GAME1
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GAME2
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GAME3
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三遠は3年前に大野篤史HCが就任してからチームの全てが変わった。
シーズンを重ねるたびチームに“大野篤史HCの流儀” が選手やスタッフに浸透してきた。地域での在り方、プロとしての意識、試合の勝ちにこだわり、そして楽しめるバスケットを見せてくれた。
三遠ネオフェニックスのカルチャーを培って戦い抜く姿勢は一貫として変わらない。
それは、常に地域に愛されるチームになること、カルチャーを根付かせること、プロとは何かを掲げてきて、それが浸透してきた。
今シーズン前に
「もっと地域に愛され、地域に根づくチームになりたい。もっとブースターの皆さんに愛され、熱狂させられるチームに。もっとパートナーの皆さんに愛され、応援してもらえるチームに。『もっと』『もっと』『もっと』 『For All 支えてくれる全てのために』と掲げて今シーズン始まった。
またこのセミファイナルでチームに貢献した、
今シーズン引退の柏木真介、新しい力の湧川颯斗、根本大がいる。スターターやバックアップからコートに出てチームに力を与えた。
この大事な場面でしっかりと活躍することができたのは、「チーム内競争」もしっかりとあり、また大野篤史HCは各選手に対してチャンスをしっかりと与えてきたことが大きい。
大野篤史HCは、選手を成長させたいからといって頑張ってる選手、パフォーマンスがいい選手のプレイタイムを削ってまで起用することはないという考えで
“競争のないものに、その成長はない”
しっかりそこは競争してプレイタイムを自分で奪ってほしい、その気持ちがないのであれば、プロはコートに立つことはできないと以前に聞いた。
柏木真介43歳、湧川颯斗21歳、根本大22歳
「同じだけチャンスがあるかと言ったら、実際若い子の方がチャンスある。でも、チャンスを掴むか掴まないかは年齢は関係ない。コートでもっとプレイしたいと思うのであれば、競争に勝たなければいけない、チャンスを掴まなきゃいけない。その為に何をしなきゃいけないのかを考えないといけない」と話している。
また、昨年末の12月に吉井裕鷹について聞くと
「吉井はサイズがあって、シュートが上手で、 負けず嫌いですね。悪い言い方すると、空気が読めないぐらい一生懸命コートで表現するっていう姿が僕は好きだったんですね。彼と一緒に仕事がしたいなと、ずっと思っていた」とインタビューで答えてくれている。三遠の勝利に吉井は不可欠だ。セミファイナルでは琉球のローや脇と相手のエースを封じる役割を担って、時にはインサイドでクーリーやカークにもディフェンスする。こんな日本人選手はいない。
セミファイナル後に大野篤史HC、吉井、根本、そして今シーズン引退する柏木のコメントを聞くことができた。
大野篤史HC
大野篤史HCが掲げてきたカルチャー
「このチームが地域の日常になる」
そしてチームで共有してきた
「自分たちが何の為にここにいて、
何の為にバスケットをしているのかを」
セミファイナル終了後にコメントしてくれた。
「自分たちのために欲してる風には僕には見えなくて、何のためにバスケットをしているのかという時に、今日来てくれた沢山のブースターさんの皆さん、自分たちを支えてくれている人たちに喜んでもらうこと、そのためにこのタイトルを選手たちは欲している姿が僕は見えたと思います。
それは本当に自分が作りたかったカルチャーで、まずその第1段階です。
彼らにも勝った時にしか味わえない充実感とか満足感とかを味わわせてあげたかったけど、結果は自分たちが望むものではなかったけども、そのシーズンエンドで感じてたところよりも一回り選手たちが成長してくれたんじゃないかなと思ってます」。
土台ができたということですかと問いに対して
「僕はそう信じてる」と応えた。
大事にしてきたファンブースターの変化をどう感じているかの問いに対して
「1年目にここに来た時に、ぶっちゃけると、なんてお客さんが少ないんだ。自分たちの認知度がなんて低いんだっていうところから始まりました。
それはフェニックスが今までやってきた証。
それを変えるために僕はここに来たので、この1年、2年、今年3年目になって、本当に、うん、苦しい時に自分たちをもう1度立ち上がらせてくれたのはブースターさんの皆さんです。
今日の試合だけではなくて、自分たちが劣勢になった時に、ブースターの皆さんのおかげで自分たちは勇気をもらいましたし、僕たちのプレイを見て、またブースターさんも感じてくれるものがあったと思います。
そういうものの積み重ねで、今のような風景が見えてきたんじゃないかなと思ってますし、これを、もっともっと大きな風を作りたい。
この三遠の地域の皆さんにフェニックスを誇りに思ってもらいたい。そのためには僕らはこれをやり続けるしかない。
今までやってきたことをもっともっと進化させる必要がある。もっと皆さんのために戦わなきゃいけない。これを積み重ねていって初めてカルチャーができてくる。
僕たちを心に思ってもらえる、僕たちのことを応援してもらえると思ってるので、僕たちがフェニックスというチームも会社も進んでいかなきゃいけないと思ってます」。
そして大野篤史HCが思い描いていることを最後にコメントしてくれた。
「皆さんに、自分事のように喜んでもらいたくて、自分事のように悔しいって気持ちを持ってもらいたくて。
その風景が当たり前になりたい。
当たり前にフェニックスが存在して、
当たり前に試合の日に試合会場に来て、
ご飯を食べる時にフェニックスの話をして、フェニックスのウェアを着て誇らしく、
そういう風景を見たい。
まだまだだと思います」
吉井裕鷹
「シーズンが終わってしてしまったなっていう…。
率直に行けなくて悔しいなっていう気持ちでいっぱいです。今日の試合も、うん、我慢できている場面はいっぱいあると思います。で、今シーズンの三遠ですけど、本当にいいチームでした。
優勝はできなかったんですけど、日本で1番いいチームだったと僕自身は思いますし、コーチ陣や選手たち、一言も言い訳せずにやりきったことを、ほんとに誇りに思いますし、いいシーズンだったと僕自身は思います」。
このチームでそういった主力としてチームを戦い抜いた事に対して
「大変、学びになるシーズンでした。主力として出る、出続けるっていうシーズンをあまり過ごしてなかったので、正直アルバルク時代も1年目に見えない役割の違いみたいのがあって、そのいろんな役割の違いをやり続けて毎年成長してたと自分自身は思うんですけど、また三遠に来てから違う役割をもらって、またそこで学びを得たと」。
また来シーズンについては
「どういう役割を与えられて、与えられるって言い方はアレですけど、どういう役割を自分からもぎ取りに行こう、どういうシーズンにするかっていう事を、これまでの5年を基盤に、またいいシーズンにしていきたいなって思います。本当に毎年、自分自身成長してるなって感じています」。
開幕戦の開幕戦からの自身のステップアップできたところは
「琉球戦、勝負を決する時間帯にちょっと出られなかった時間があって、その時に大野さんに、試合終盤で出続けられる自分の考え方やあり方みたいな所を、もう少し学ばないといけないなって言われたから、この3試合、勝負を決する時間帯はずっと出続けられたって思うと、今思えば成長してるのかなって、成長してる途中は自分で成長してるかどうかわかんないですけど、結果として見ると、そういう時間帯に出続けられてるってことは、成長できてるから試合に最後まで出続けられたんじゃないかなって思います」。
根本大
J :ピンチの時にボールをしっかり持ってアタックしたり、チームをコントロールして勝利に行くところを白鷗時代から見てきて、そして三遠に来て、数ヶ月でチームの中でチャンスを掴んで、ご自身で得たもの、そして自分の中にある課題など今感じことがあったら教えてください
「得たもので言えば、そうですね、プロとしてやっていくっていう姿勢の部分を得られたのかなと思っていています。
大野さんはずっと“プロとしてやっていく、お金をもらってやっているんだから、その責任を果たさないといけないよ”っていう部分もずっと言っていて、そういった部分は学生とプロの違いっていうのをこの数ヶ月で身につけられたかなと思っています。
課題としては、自分はコンボガードとして隆成さんと颯太さんと、2人で出る部分が多かったんですけど今回、隆成さんが怪我をして。
で、颯太さんも試合を途中から出られなくなったり、自分がポイントガードとして1人でゲームを作っていかなければと、その部分が本当にまだまだ出来ていないと思ったので、来シーズンに向けてこの部分をステップアップしていきたいです」。
柏木真介
今シーズンで引退する
日本を代表するポイントガード
J:本当におつかれさまでした
ありがとうございます
「本当に三遠に来てよかった」
「悔しいですね、横浜には行きたかったですね。
レギュラーシーズンもそうでしたけど、CSに入ってより自分がチームに貢献ができることは全部やろうと思ってやりました。
怪我や色んなことが起きてしまいましたが、本当にチーム一丸となって最後の最後まで戦い抜くことができました」。
「三遠に来る時に、正直この年齢でまず三河から離れること自体リスクがあるし、ただ、最後やりきるんだったら何か得たいっていう思いがありました」。
「最後のプレイの場所を考えて、最初に思ったのが三遠さんで、最後にもし可能だったらやりたいっていう想いがありました。それが通って三遠さんからもぜひという話をもらったところからだったんです。長くやってきて最後に三遠となりました。
もちろんセカンドキャリアのこともあって、どういうコーチングをして、どういうチームマネージメントをするのかなって。
やっぱり強いチームの中でやるってどういうものかなって。三遠はこれだけのタレントがいて、なおかつ、いいスタッフが揃っていて、強いチームを作り上げることはどういうことなのか、選手として自分自身で知りたかった。
やっぱり選手だからこそ経験できると思いました。
コーチ陣が勉強に来るのと、実際にプレイヤーとして感じるものって違うと思うんですよ。
もうシーズン前、去年の夏、練習が始まって開幕前ぐらいには、もう凄いいい経験させてもらってるなっていうのはあったんですよ。
やっていく中で、この今、Bリーグのトップレベルの選手たちが集まってる中で一緒にやれて、すごく楽しかったですね。
もちろん大変は大変でしたよ(笑顔)。
代表クラスの選手とマッチアップしなきゃいけないし、20歳も離れた選手とマッチアップしなきゃいけないし、大変だったんですけど、
逆にそういう選手たちと一緒にやることもすごく楽しかったです。
自分にできないこと、できることもわかってるから、だからこそ、自分の今までやってきたものが、うん、この選手たちに対してどう通用するのかな、そういうものがチームにどういうプラスに与えられるのかなっていう思いでずっとやってきました。
それがね、本当、なんかやってるうちは全然わかんなかったんですけど、最後、大野さんがね、(自身の評価について)こうおっしゃってくれた時に、なんか、やってきて良かったなっていう、、、このチームで、うん、自分が学ぶためにこのチームに来てるのに、逆にチームにもなんかいい影響を与えられたっていうのを聞いて来て良かったなって。やり続けてこれてよかったっていうという気持ちにさせてもらいました。ほんとに、はい」。
「三遠での1年、そして、色んな場所で出会った方々や、関わって頂いた皆様本当にありがとうございました。これからもいろんなところでお会いするかもしれませんが、よろしくお願い致します」。